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美しい顔立ちと隠しきれない上品さ、そして確かな演技力の浜辺美波(はまべ みなみ)。
2023年度NHK連続テレビ小説「らんまん」の、ヒロイン槙野寿恵子(まきのすえこ)役に抜擢された人気若手女優です。
抜擢された時の心境を「決まった時は手が震え、嬉しさや色々な感情が沸き起こり、その夜は眠れなかった」と話していました。
そんな浜辺美波に、子役時代があることをあなたはご存知ですか?
10歳で芸能界に入り、すぐに映画「アリと恋文」でデビューしています。
しかしながらデビュー当時は劣等感のかたまりで、自ら望んだ芸能界入りではなかったため、辞めたかったのが本音でした。
ここでは人気若手女優とは裏腹に劣等感と戦った、浜辺美波の子役時代をクローズアップしていきます。
浜辺美波のプロフィール
- 名 前:浜辺 美波(はまべ みなみ)
- 愛 称:べーやん、みーちゃん
- 生年月日:2000年8月29日(おとめ座)
- 年 齢:22歳(2023年4月時点)
- 出 身 地:石川県河北郡津幡町
- 家族構成:父親、母親、弟、祖父母の6人家族
- 身 長:157㎝
- 血 液 型:B
- 趣 味:料理、読書、まんが、ゲーム
- 特 技:フルート、音読、硬筆習字(特選賞受賞経験あり)
- 好きな食べ物:ホルモン、牛タン、もつ煮、生の物全般(寿司やお刺身、ユッケ)
- 嫌いな食べ物:らっきょう
- 所属事務所:東宝芸能株式会社
- 出身高校:堀越高校 トレイトコース
- 部 活:吹奏楽部 フルート(中学校)
浜辺美波の生い立ち
浜辺美波は2000年8月29日、石川県河北郡津幡町で生まれ、両親と弟、そして祖父母との6人家族で育ちました。
津幡町(つばたちょう)は自然に恵まれた土地で、林野庁に認定された「森林セラピー基地」があり、癒しの「森林浴」を楽しめる地域。
また7月下旬から8月上旬ころには、ひまわりが咲き揃う「ひまわり村」もあります。
豊かな自然に囲まれた環境で育ったことから、浜辺美波も穏やかで癒しのある人物に成長したのでしょう!
幼児期のころから目元がクリっとしていて瞳が大きく、整った顔立ちでまさに美少女でした。
また落ち着いた素朴な雰囲気から、穏やかで優しい性格がにじみ出ていました。
幼児期のころから母親の影響で読書が好きになり、読書をしていると母親から褒められることが嬉しかったそうです。
幼稚園生のころには伝記「モーツァルトの生涯」、小学生になると「マジック・ツリーハウス(ファンタジー/児童文学書)」シリーズが好きになりいつも読んでいました。
また、読書をするさいは音読をしていたことが多く、大人になった現在でも音読が得意なんだとか。
浜辺美波は、2007年4月津幡町立条南小学校へ入学しています。
小学生時代は学級委員長を任されるほど責任感のある性格でしたが、恥ずかしがり屋で人見知りだったため、あまり友人はできませんでした。
また女子が苦手でおそろいのものを購入するとか、遠足などのみんなと一緒に過ごすイベントや団体行動も苦手でした。
そのような性格が影響してか小学1年~3年ころには、隣の席の子と仲が悪く机ごと廊下にだされるといういじめを受けたことがあり、学校が嫌いでした。
休み時間は話しかけられないように読書をし、周囲とできるだけ関わらないように避け、休日もあまり外出はせず1人で読書をしていることが多かったそうです。
浜辺家には厳しい家族ルールがあり、特に”音”に関係するルールが厳しかった。
家の中では歌わない(鼻歌もNG)、足音を立てて歩かない(カカトからは歩かない)などがありました。
家の中で歌うと「うるさい」と注意され、カカトから歩くと「静かにしなさ」と怒られていたそうですが…
ダメと言われるとやりたくなってしまうのが子供の性分、浜辺美波も例外ではなかった!
両親が外出すると、家の中で大きい声で歌ってみたことが何回かあるそうです。
さらに、どこの家族にも同じルールがあると思っていたそうで、同級生が「家でお姉ちゃんが歌っちゃうんだよね~」と言っていることを聞き、「えっ?!どういうこと?」と困惑したそうです。
本当にそういう家庭があるらしく、浜辺美波はうちは厳しかったんだなと思ったんだとか。
幼少期の夢は歯医者で、実家の隣に土地を購入し歯科医院をひらきたいと思っていました。
この夢をもったきっかけは、バナナを食べながら寝てしまうことがあり虫歯が多く、よく歯医者にお世話になっていそう。
そのころは、お世話になっている職業に憧れて歯医者になりたかったんだとか。
きっかけが、可愛らしくて微笑ましいエピソードですね!
またお手玉も得意だったそうで、世界的サーカス集団『シルク・ドゥ・ソレイユ』を観に行ったときに「もしかして私、サーカスに向いているかも?!」と思い憧れていました。
幼少期から女優に憧れていたと思いきや、このころはまだ女優には興味がなかったんですね。
- 母親とテレビを一緒に見ていた時に、カシオペア紀行特集が放送されていて、母親に「大きくなったら親孝行を兼ねて家族全員でカシオペア紀行に乗せてあげるね」と言っていた。
- 父親はアクティブな性格で、毎年遊園地や家族旅行に必ずいっていた。
- 中学生になると母親と体系が似てきていたので、よく洋服の貸し借りをしていた。
- 両親は共働きだったため、祖母と一緒に過ごす時間が多く祖母が大好き。
- 石川県硬筆習字(こうひつしゅうじ)の特選賞を受賞。
- 運動は苦手だったが弟と仲が良く、一緒に虫取りや自然と戯れたりする活発な面もあった。
浜辺美波の子役時代の出演作品
子役時代の浜辺美波はCMや映画、テレビドラマなどにはあまり出演していませんでしたが、デビュー当時から可愛すぎるので出演作品を振り返っていきます!
のちに書籍化【夢追い日記】
【めぐりあう時間】奥村ひとみ役(当時11歳)
本間芽衣子(めんま) 役(当時15歳)
ゲームプレイヤー 役(当時15歳)
浜辺美波が芸能界デビューしたきっかけ
女優の登竜門的オーデション「東宝シンデレラ」に応募し、応募総数44,120名の中からニュージェネレーション賞を受賞したことがきっかけ。
田舎育ちの素朴な美少女であった浜辺美波は、演技もダンスも全く経験がなく初めてのオーディションで事件が起こります!
もともと運動が苦手だった浜辺美波は、ダンス審査で踊ることができず泣いてしまい何もできず…..。
特技披露では「ないです!みせられるものなんて何もないです!」と正直に答え、いっさいなにもせず審査員から「それでいいの?」と心配されました。
この年の応募者には上白石萌歌や上白石萌音、山崎紘菜など予想以上に素晴らしい人材が多く激戦の年でした。
このような状況から浜辺美波は、何かしらの賞を受賞できる可能性は低いと感じていました。
しかし浜辺美波の透明感と可愛らしい容姿、何か持っていそうな雰囲気が審査員や東宝芸能の審美眼にとまり、最終選考では予定になかった「ニュージェネレーション賞」があらたに新設され見事受賞!
浜辺美波本人はまさか受賞できるとは思っていなかったそうで、かなりビックリしたそうです。
ただ嬉しかった反面、ニュージェネレーション賞はその年だけにしかない賞で「なんだ?その賞は?保険のような賞だな」と思い、劣等感をいだきました。
本線オーディション前に地方審査会場で浜辺美波を見かけた、東宝芸能(株)芸能部第2芸能室長・秋元大吾は、第一印象を以下のように語っていました。
出展元 MANTANWEB
地方審査会場で大勢の参加者がいる中、ひときわ目立っていたようですから10歳にして、人を引きつける魅力を放っていたのでしょう!
実は「東宝シンデレラ」オーデションに応募したのは、浜辺美波本人ではなく子煩悩な母親の意向が強かったようです。
母親は「自分の娘が一番カワイイ!」と思っていて「どこまで行けるのか確かめてみたい!」という好奇心から応募していました。
また父親は、芸能界デビューを決めた浜辺美波を応援するため、運気が上がるパワースポットに連れていったり、芸能の神様が祭られている神社に参拝したりと、とても浜辺美波を応援しているそうです。
これらのことから、浜辺美波が芸能界デビューを果たしたことに、両親は喜んでおり応援していますね!
浜辺美波の子役時代のエピソード
東宝シンデレラオーディションに応募した当時はまだ10歳ということもあり、パンプスを履き慣れておらずギコチない歩き方をしていた浜辺美波。
そしてステージから立ち去ろうとした瞬間、パンプスが脱げてしまうハプニング!
まさにシンデレラ!
浜辺美波は「いや~、やってしまったな!」と思ったそうですが、このハプニングがシンデレラのいち場面をほうふつさせ審査員や観客から高評価を得ました。
その後のインタビューでは「このような靴(パンプス)を履いて歩くのは初めてなので、歩きにくくて印象に残りました」と照れながらな笑顔でコメントし、会場は微笑ましい雰囲気につつまれました。
”浜辺の美しい波”と書いて浜辺美波(はまべ みなみ)。
あたなたはこの名前をみて芸名だと思いませんでしたか?
いいえ、実は本名なのです!
「美波」という名前は、野球まんが「タッチ」の大ファンだった父親が、ヒロイン浅倉南(あさくら みなみ)からあやかって「みなみ」にしたことが由来。
芸能界入りした2011年に、本名でいくか?芸名にするか?選択肢はあったそうですが、お父さんがつけてくれた名前で自分も本名を気に入っていたことから「ぜひ、このままでいかせてください」と答えたそうです。
2011年のデビュー当初から、東宝シンデレラで感じた劣等感を克服できずにいた浜辺美波は、芸能界を辞めたいと思っていました。
同期受賞者には、グランプリに上白石萌歌、審査員特別賞は上白石萌音と山崎紘菜らがおり、感受性が豊かだったりスタイルが良かったりで、周囲の受賞者は自分に持っていないものをたくさんもっているように感じていました。
浜辺美波がどれだけレッスンを頑張っても追いつけないことが本当に多くて、劣等感しかなかったそうです。
劣等感なんて言葉のない人生を送ってきていそうな浜辺美波ですが、意外なエピソードですね。
また、芝居では感情を表情にあらわしたり、全力でセリフを発声したりすることが苦手でなかなか上達できず、芝居が楽しいとも思えていませんでした。
レッスンを受けては泣き、帰りの電車ではマネージャーに怒られて泣く…..そんな日々を過ごしていた時期に、レッスンの先生からのアドバイスに心を動かされます。
引用元 WEBザテレビジョン
この言葉に支えられ辞めることを思いとどまり、以後つらくて辞めたいと思う気持ちがでてくると、この言葉を思い出しふみとどまりました。
スペシャルテレビドラマ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』で、ヒロインの”めんま(本間芽衣子)”を演じことがきっかけでした。
このドラマのヒロイン”めんま”は感情の起伏が激しく非常に難しい役で、浜辺美波はなかなかめんまを理解できず四苦八苦していました。
そしてドラマが完成し出来栄えを見ていたところ、自分の演技に納得がいかず心底から「もっとうまくなりたい!もっと成長したい!」という気持ちが自然とあふれ出てきたそうです。
困難な役に挑戦したことで、今まで以上にレッスンに打ち込み没頭する浜辺美波。
すると徐々に仕事をいただけるようになり、さらに演じることが楽しくなって芝居にのめりこみました。
子役時代はあまり仕事をいただけていなかった浜辺美波ですが、子役・レッスン・学業と三足のわらじをはき多忙な毎日を過ごしていました。
そんな浜辺美波を支えていたのが母親でした。
子役時代の浜辺美波は地元石川県に住んでいたため、子役の仕事やレッスンが入ると東京まで往復約10時間の道のりを家族が付き添い通っていました。
中学校に入学後は毎週レッスンがあり、東京へ向かう浜辺美波を母親が仕事を休み空港まで送迎をしてくれたそうです。
また、中学生になるとシビアな体重管理を余儀なくされ、タニタなどのご飯を調べて作ってくれたり体調管理の面でもサポートしてくれました。
仕事やレッスンでつらいことがあっても、両親の献身的サポートがあってこそ乗り越えられたんでしょうね。
浜辺美波は「東宝シンデレラ」でニュージェネレーション賞を受賞後、ダンスや歌、演技などのレッスンが始まりました。
そのレッスンの先生を務めたのが、同じ石川県出身の元タカラジェンヌ・泉つかさでした。
当時の浜辺美波について、泉つかさは次のように語る。
出展元 ニコニコニュース
芸能界入り直後からレッスンを頑張っていたんですね。
また容姿だけではなく、芯の強さがあったことで厳しいレッスンを乗り越えられたのでしょう!
浜辺美波はデビュー後、地元石川県と東京を片道約5時間をかけ行き来する多忙な日々を送っていました。
当時の様子を、恩師の泉つかさは次のように話していました。
出展元 ニコニコニュース
家族の支えも浜辺美波を鼓舞する大切な要素だったとは思いますが、「自分の選んだ道だと頑張っていました」ってところに芯の強さがみえますね。
レッスンをしているときの浜辺美波は、歌やダンス、演技など常に全力だったそうです。
レッスンの先生、元タカラジェンヌの泉つかさは当時の様子を次のように話していました。
出展元 ニコニコニュース
幼少期の浜辺美波は読書が好きで音読を得意としていたので、その経験から高いレベルの早口言葉を用意できたのではないでしょうか。
レッスンを習い事感覚ではなく常に課題を見つけ、すべての稽古から次につなげようと努力していたそうです。
デビュー当時から感じていた劣等感と密かに秘めている負けず嫌いな性格が、浜辺美波の成長への原動力に繋がっていったのでしょう!
子役時代の浜辺美波は、地元石川県の小・中学校に通学していました。
2007年4月、津幡町立条南小学校へ入学、2013年3月に卒業。
2013年4月、石川県立金沢錦丘中学校へ入学、2016年4月に卒業。
芸能界デビュー後、多忙な日々を送っていた浜辺美波ですが、中学校入学試験を受けていました。
浜辺美波が入学した石川県立金沢錦丘中学校は、県内では人気が高くおおくの受験生が集まる学校でした。
偏差値は56程度と、県内では学力が高いことで知られます。
芸能界入りする前は、歯科医になることが夢だったので、勉強は得意だったようです。
中学生時代の浜辺美波は、学業・仕事・部活と多忙な日々を過ごしていました。
仕事やレッスンがある度に、地元石川県から東京へ通う日々は相当過酷だったと思います。
そんな多忙な中学生時代をのちに振り返り「わたし、中学校の写真がなくって….素敵なこんな青春っていいな、もっと楽しんでおけばよかったなと思った」と思わず涙をこぼしていました。
芸能活動をしていたがゆえに、青春を楽しむ機会が少なかったことへの後悔がありました。
中学時代は吹奏楽部に所属し、フルートを担当していた浜辺美波。
腕前はというと、楽譜はまったく読めないそうでYoutubeなどの動画を見ながら、勘で合わせていました。
勘で合わせてフルートをふけるなんて凄いですね!
中学時代の浜辺美波は反抗期が激しく、母親とよく口げんかをしていました。
仕事でしばらく学校を休むと学校へ行くのが嫌になり「学校へ行け」「行かない」で、バチバチとやりやっていたそうです。
母親と口げんかをしていると、父親が無理やり車に押しこんで学校にいかせることもありました。
大人しく優等生なイメージがありますが、反抗期があってビックリしました!
中学2年生の修学旅行でディズニーランドへ行った浜辺美波は、カツラをかぶっていました。
当時テレビドラマ「無痛~訴える眼~」に出演しており役柄で金髪にしていましたが、学校の校則違反になってしまうためカツラをかぶり修学旅行を楽しんでいました。
ジェットコースターにカツラをおさえながら乗ったり、友達からはカツラをいじられたそうで、とても思い出に残る修学旅行になったそうです。
地元石川県の中学校に通学していた浜辺美波は、卒業と同時に上京を決めており中学を卒業するということは、同級生とのお別れでもありました。
第2ボタンをみんなと交換したり、先輩からもうらうことに憧れていた浜辺美波は、卒業式で自分のブレザーやワイシャツのボタンを自ら外してみんなにあげたり、同級生のボタンをもらったりしたそうです。
そのあと食事会があったそうで、ボタンがついていないワイシャツの隙間からみえる肌を、必死に隠しながら食べていたそうです。
浜辺美波のブレイクのきっかけ
浜辺美波は、2015年に放送されたNHK連続テレビ小説「まれ」の桶作麻美(おけさく あさみ)役として、第19話~第21話まで出演しました。
わずか3話だけの出演ながらも、幅広い年齢層から反響を呼び”注目の美少女”としていっきに知名度をあげました。
浜辺美波が演じた桶作麻美は、見た目はとてもかわいらしく周囲からも可愛がられている存在でしたが実は裏表のある性格、それが原因でさまざまな問題を引き起こします。
そんな難しい役を巧みに演じた浜辺美波は、演技力の評価も好評でした。
当時は演技力よりも容姿を話題に取り上げられていましたが、この役をきっかけにドラマや映画などの出演が増えていきます。
浜辺美波にとっては、この作品が出世作と言っても過言ではないかと思いますし、当時「ポスト長澤まさみ」とも言われており、周囲からの期待も大きいものでした。
浜辺美波の子役時代の評価
資質を見込まれて芸能界デビューを果たしたものの、しばらくはオーディションに落ちまくり、ほとんど受からなかった浜辺美波。
3桁数に近いオーディションに書類を出し落ちまくっていたそうで、最終的に受かったのは1~2個だったそうです。
若くして売れっ子になったと思われがちですが、そんなことはなく子役時代は下積みの時代でした。
そんな中でも持ち前の負けず嫌いな性格と、劣等感をバネに活動を続けていくうちに、世間から高評価を得るようになりブレイクしていきます!
あまり知られていませんが浜辺美波は子役時代に、女子小学生向けファッション雑誌「キラピチ」で専属モデルデビューを果たしています。
同時期には福原遥も専属モデルをつとめており、創刊号では福原遥と共に浜辺美波が表紙をかざりました。
実はキラピチでの共演をきっかけに福原遥と浜辺美波は仲が良くなり、今でも友人関係が続いています。
キラピチ創刊号は、浜辺美波や福原遥など子役時代の人気若手女優が共演していることもあり、近年では1万円以上の価格で取引さることもあるようです。
浜辺美波は、テレビドラマ「無痛~訴える眼~」で南サトミ役を演じました。
南サトミ役の設定は、幼少期からの虐待が原因で重度の鬱や脅迫神経症、境界性パーソナリティ障害をわずらう難しい役柄でした。
もともと可愛らしくピュアなイメージの浜辺美波でしたが、このドラマでは役柄のために髪を金髪に染めこれまでに経験のない役柄への挑戦でした。
役柄の設定でドラマの序盤~中盤までは無言での演技、特に目で訴える演技が素晴らしかったです!
また終盤はセリフがあり14歳ながら、迫真の演技で見るものをとりこにさせました。
浜辺美波はこのドラマで、第2回コンフィデンスアワード・ドラマ賞新人賞を受賞。
人気アニメを実写ドラマ化した「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(あの花)」の、ヒロイン本間 芽衣子(ほんま めいこ) あだ名は”めんま”を好演し、浜辺美波は脚光を浴びました!
このドラマは、かつての幼馴染たちの前にとつぜん幽霊として”めんま”が現れ「お願いを叶えて欲しい」と頼み、困惑しつつも”めんま”の願いを探っていくストーリー。
幽霊役ということもありとても難しい役について、インタビューでは以下のように語っていました。
出展元 ORICON
難しい役柄を見事に好演した浜辺美波は透明感とかれんな容姿がピュアな存在感をかもしだし、原作アニメファンからの絶賛、視聴者からも高評価を得ました。
このドラマでの好演をきっかけに、浜辺美波は世間から女優として認知されはじめさらにブレイクしていきます。
浜辺美波の子役時代についての世間の声
浜辺美波ちゃん10歳の頃のオーディション
— ゆきんこ⛄🐢 (@WFGB7RQZ2Q3qygq) January 2, 2021
お顔はもちろんコメントも最後靴脱げちゃうところも、もう全部愛おしい😫‼️ pic.twitter.com/ngceVv30C2
もう正月休みも終わりか…💧
— わーい@はみみ (@Tsubata_Minami) January 3, 2018
昔懐かし、記念すべきキラリ通信第1号を読んで
「私も頑張ろう」😆🎶
浜辺美波さん、小学生の頃から顔が整い過ぎです笑#浜辺美波#北國新聞#キラリ通信 pic.twitter.com/YnygSwo5LS
お芝居が苦手でオーディションも全然受からず強い劣等感を抱いた浜辺美波ちゃんがレッスンで先生に言われた言葉、定期的に思い出したい言葉オブザイヤーなんですが pic.twitter.com/YCm8RSVzRF
— ジェラシーくるみ (@graduate_RPG48) May 2, 2021
石川県出身の浜辺美波ちゃん。中学時代から地元新聞に連載をもち、最近は同新聞のCMにも出演。
— ヨウコ (@Leafpie1293) January 31, 2021
彼女の中学時代に「仕事のため飛行機に乗って上京してきました(北陸新幹線開通前)」といった文章を読んでたので、最近の活躍は感慨深いものがあります…☺️(石川県民はそう思ってる人が結構いそう)
Amazonプライムではじめて、空色物語のアリと恋文見たけど、なんか当時11歳のべーやんできすぎちゃう??😂場面場面で見たことはあったけど、改めて作品でみたら、いい意味で今のべーやんと変わらん部分あってめちゃくそ凄いなぁ〜と😅可愛い過ぎるやろと思いました🤩#浜辺美波#アリと恋文 pic.twitter.com/raLmpjcfHp
— 🌊べーやん🌊にボンばばボンされた人 (@hamabe_37_3) January 6, 2021
もともと浜辺美波は「あの花」めんま役にはまってたぐらいなので身体を超越した二次元的な美しさがあったと見てよいだろう。故に彼女が「キャラクターのリアリティ」を骨子とする庵野的表現にマッチしたのは必然というほかない。
— ヨーク (@revengeofzt) March 29, 2023
◻️#南サトミ の美波さん
— じゃいまる(仕事し過ぎなヤツ) (@gymaru373) September 13, 2020
「#無痛」に美波さんが出演していた事も後から知った😑 さらにこのドラマはリアタイしてたので、尚更、悔やまれる😶
金髪もガチで染めての役作り。気合い入ってると思った。前半はセリフが少なかったけど、後半の美波さんの演技に注目🙄 難役を15歲で演じ切った👍#浜辺美波 pic.twitter.com/DNQhajOOwv
まとめ
シンデレラのように瞬く間に人気ものへ成りあがった浜辺美波ですが、デビュー当初から劣等感との戦いでした。
何度も辞めたいと思いながらも、劣等感を原動力に努力しつづけた下積みの子役時代。
この時代があったからこそ、今の輝きがあるんだと思います!
今後も、浜辺美波の活躍から目が離せませんね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。